声の方向を振り返ると霧雨の暗闇のなかに白い笑顔のベビーフェイス。
「鎌倉せんせーい!!!」まさに救世主の登場。なんとアプリで私の位置を確認し待っていてくれたそうです。治療の器具とマットも持参。神!
さっそく、エスパージ(携帯型物療機器)をかけつつ固くなった、背中を緩めてもらいます。
その間約20分。
蘇りましたー!!!
深夜二時半遥か先のゴールに向かって走り出します。
鎌倉先生ありがとう。もう河口湖に向かって足を向けて寝る事はできません(笑)
仲間のサポートももらいLINEにはタマコツの仲間からの激励のメッセージが届いております。挫けるわけにはいかないのです。
一日目の夜が明ける頃、90㎞地点の大エイド、富士急ハイランドに辿り着きました。ここでは事前に預けてある荷物があります。それを取り出し着替えやヘッドランプのバッテリー交換、食べたい補給食の補充をおこない、疲れの出てきた膝周りの筋肉にキネシオテープを貼り、再スタートをきります。
100㎞から先は未知の領域。ゴールである、ここ富士急ハイランドに再び無事戻って来ることができるでしょうか?何事もなければ明日の朝には、全てから解放されてここにいるはず。
100㎞を過ぎると走ることが辛くなってきます。着地した足の裏が痛いのです。
忍野村までの長い舗装路は歩くことにします。周りのランナーもほとんどが歩いています。100マイルレースは100㎞までがウォーミングアップ、100㎞からが本番とどこかに垂れ幕がはってありました。
忍野村のエイドステーションに辿り着くとリタイア受け入れバスが止まっております。搬送予定時刻も丁寧に掲示されており、一瞬リタイアの誘惑に魅せられます。(いやいや、ここまできたんだ。リタイアしたら再挑戦だぞ、あと一年、またトレーニング漬けの生活をおくるのか)と自問自答しました。このときはゴールしたらしばらく走らないと固く心に誓っていたのです。
ここは長い目で、しばらく走りたくない気持ちが勝ち、これから文字通り、山場を迎えるコースのハイライトに向かいます。
ここから先は他のレースのコースであったり、試走したりして勝手知ったるコースそれだけに過酷さも知り尽くしており気合が入ります。切れ落ちた尾根やロープを伝わらないと登れない危険個所もあり、可能な限り明るいうちに通過しておきたいところです。もう早くは走れませんが先を急ぎます。
山中湖のエイドを過ぎ鉄砲木の頭と呼ばれる山の稜線に出ます。そこからは山中湖越しに富士山が良く見えます。日も暮れかかっており、今大会中に見る最後の富士山になるかな、などと考えながら通過します。この先は大会のハイライトでかつ山場、難所が連続。そしてナイトセクション。明るいうちにここを抜けられる走力が欲しい!!!
ここから二つ先の富士吉田のエイドまではまさに修行走。暗闇の中を安全に気を配りながらただひたすらに登って下ってを繰り返します。コース上には力尽きた他の選手が死屍累々と横たわり、二日目のナイトセクションを迎えて、サバイバルレースの様相を呈しています。幸いなことに自分は胃が重い以外、膝の痛み等の故障もなく、気温も寒くなく力尽きなければゴールまで行けそうな気がしてきました。
今大会最大の難所である杓子山の前の二十曲がり峠のエイドに到着すると、もはや野戦病院状態。テント内に横たわる人や椅子に腰掛けてうなだれる人でいっぱいです。日頃、のどかな富士山の展望地が絶望の地に。
私は長めの休憩をとり、ライトのバッテリーを交換し、シューズの紐を締め直し、再スタートをきります。ひたすらの修行走。ロングレースの後半はいつもそうなのですがあまり記憶がありません。人間、つらい記憶は自動消去する機能があると聞いたことがあるのですがこれがそうなのでしょうか。
次の富士吉田まではわずか12.2㎞。平坦なロードマラソンなら一時間の距離にいったい何分かかるんだ?あ、下のライトに照らされている壁は人工のコンクリートだぞ、下界が近づいてきたぞ。と思うと、他のランナーのヘッドランプに照らされた岩壁だったり、あれ足元に小動物がいると思ったら木の切り株だったり幻覚が見え始めます。オーバーナイトのロングレースではよくあるやつらしいです。自分もとうとう、その領域に入ったかと妙な感慨にふけりながら夜道を彷徨います。カウベルの音が聞こえてよやく最後のエイドステーション。
吉田うどんが提供されます。うーん、うどんのコシと汗をかき続けてる身に沁みる塩加減、最高です。日頃は蕎麦派の自分も、人生最高の一杯と思います。
GPSウォッチの充電をしつつ10分の仮眠をとり、いよいよ最後の山に向かいます。コース上の案内には熊出没注意!!との看板が。。。
熊鈴をもってないので前後のランナーと離れないようにしつついきます。家の近所の裏山みたいなのにひたすらに急な登りが続き、登りが終わったあともゴールは近づいてくる気配がありません。レースも終盤でナイトセクションになってくると現在時刻が全くわからなくなります。しらじらと夜が明ける気配とともにかすかに道路を走る車の音が聞こえてきます。山を下りて3㎞のロード区間を行くとゴールというのを大会前に説明があった事を思い出します。
ようやく解放される。ただシンプルにそう思いました。
山道を出てロード区間に出ると「伊東せんせーい!!!」と私を呼ぶ声が。
今度は幻聴か? 違いました、長年、多摩鍼灸整骨院にご家族で通院されている患者さまのご主人と息子さんでした。この方々はお近くにお住まいのため、この周辺で大会があるときには応援に来てくれます。もはや家族も応援に来てくれない(泣き!)ので、とてもありがたいです。ラストに来て応援のエネルギーをいただき、残りの3㎞、走ります。ゴールが見えてきました。日中とは異なり、賑やかだった大会会場も閑散としていますが、大会スタッフやチームメイトを待つ観客の方々からスタートとした時と変わらぬ熱い声援が飛び交い長かったレースのゴールを盛り上げてくれます。毎回、ロングレースのゴールにはこみ上げてくるものがありますが、今回は解放感が半端じゃない!
これでもう走らなくていい!という思いに占拠されます。そして無事ゴーーール。
ついにランナーとしての3つの目標のラスト、100マイル完走を果たしました。準備と試行錯誤を重ねて、身体にトラブルなくゴールしたのが何よりも嬉しいです。過去のレースでは膝や足の裏、腰が痛くなり辛い状態でゴールしたことも何度もありましたが、レース後、弱い部分のトレーニングやフォームの改造で克服してきました。この経験は毎日の診療で患者さまに還元できているのではないかと思います。今後も自分の身体を使いながら痛みの起きない身体について研究していきます。次は何にしようかな。
